マイアミ

マイアミビーチ市とマイアミ市

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 これまで知らなかったんだけど、マイアミって一括りに言っても、ビーチがあるリゾートはマイアミビーチ市で、オフィス街があるのがマイアミ市って二つの町に分かれている。

だから両方合わせてマイアミって言う場合は、グレーター・マイアミって言ったりしてるみたい。

(今は面倒なので、合わせてマイアミって呼ぶ。)

リーマンショック前のファンドバブルのとき、マイアミは全米で一番不動産投資が過熱してるって聞いていた。

実際に来てみると、それぞれ、マイアミ市ではオフィス、マイアミビーチ市では住宅の開発が進んだってことが良く分かった。

じゃあ、なんでマイアミに投資が集中したのか。

それは、マイアミが大都市としてアメリカの最南端に近く、空路も海路も中南米との航路が集中しているかららしい。

海沿いには、カリブ海クルーズの超大型客船が数多く停泊してるし、マイアミ国際空港からは中南米への飛行機が数多く就航してる。

他にもマイアミ市には、社会主義革命時に移民したキューバ人が集まる、リトルハバナっていうエリアもあったりする。

ガイドブックには中南米の首都と呼ばれるなんて書いてあったりもして、なるほどと思わせるくらい交通が集中している。

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で、今回泊まったのは、マイアミビーチ市のリゾートエリア。

海沿いがリゾートホテル街になっていて、その1階が夜通し騒げるクラブやバー、レストランになってる。

たぶんスペインのイビサもこれに近い感じなんじゃないか?

冬でもプール入れるぐらい気候はいいし、とても良いとこだと思う。

 

でも、そこで感じたのが、ちょっと人種差別的な雰囲気。

店によっては、客が白人中心の店と、有色人種も居る店に分かれている感じだった。

歩いていて、アジア人であることを揶揄された時もあった。

今回の旅で改めて感じているのは、旅行客はもちろん、留学生や移住した人にしても、アメリカにはアジア人が相当増えていると思う。

特に、中国人と韓国人が圧倒的に多い。

それはアメリカだけじゃなく、世界中のいろいろな場所で同じことが起こっているんじゃないかと思う。

 

10年くらい前なら、日本人が海外に行くと、中国人か日本人と言われることが多かった。

(自分の場合、見た目の印象が一般的な日本人とはちょっと違うらしく、日本人以外に思われることも多いんだけど。)

でも今は中国人か韓国人と聞かれ、日本人かって聞かれることが少ない。

それは、マスコミが言うように、日本人が世界に行かなくなったってこともあるかもしれないけど、むしろ韓国人と中国人の渡航者が急増してるんだと思う。

ニューヨークのマンハッタンにある中華街はずいぶん拡大していると思うし、10年前にはあんなに大々的に韓国人街なんて言われてなかった気がする。

さらに今回、車でたまたま通りかかって知ったけど、クイーンズのフラッシングにある韓国人街は、相当な規模のものだった。

出身地別で見るとニューヨークのアジア人の平均所得は他のエリア出身者より多いらしいし、人口の増加が速すぎて軋轢を生んじゃってるかもしれないと思った。

(アメリカで投資アドバイザーみたいなことをやっている友人曰く、その会社の成績トップは中国人だそうだ。

中国系投資家の顧客層が厚いかららしい。)

マイアミでの話ではあるけど、アメリカ全体でアジア系が存在感を増しているんだと思う。

 

また、人種・出身地ってことで言えば、これもアメリカ全体で、明らかにアラブ系って見た目の人をあまり見かけなくなった。

今回出会ったムスリムの友人は、そのことについてかは分からないけど、アメリカはどんどん良くない方向に変わっていると言っていた。

 

とは言え、今のアメリカでは、人種差別的な考え方は弱まってきてるってことらしい。

歌手やモデルは、肌の色に関係なく活躍しているし、もちろん憧れの対象にもなってる。

だけど、アジア人はどうかってとこは、正直良くわからない。

マイアミには2日しか居なかったんで、おぼろげな感覚でしかないけど、何となく人種・出身地を意識させられるとこだった。

(それでも、冬でもあんなに心地良いとこアメリカ本土では少ないから、冬に滞在するならマイアミとかフロリダに居たいって心から思う。)

ワシントンD.C.

エンド・オブ・ホワイトハウス

って映画を先日観た。

北朝鮮のテロリストがホワイトハウスを占領する話。

いくらなんでもホワイトハウス側が弱すぎだろってところと、なんでSP一人だけで救出できるのかってところにアメリカ人の友人も笑ってたけど、銃撃戦は迫力ある。

いわゆる国威発揚系の映画なんで、自分は外国人としてちょっと鼻白んだけど。

でも、この映画で描かれているワシントンD.Cって町のもつ緊張感は、

自分が行った後だったんで、ちょっとリアルに感じた。

今回はそんな町について。

 

国家の威厳と威圧

官庁が集まった街の名前が官庁のことを指すのなんて、日本の霞が関だけだとかって言うけど、DCもそれに近いと思う。

(向こうの人は、ワシントン州と区別するために、ワシントンD.C.のことをDCと言う。)

そもそも成立の経緯が首都を作るためにバージニア州とメリーランド州の州境のエリアを真四角に切り取った計画都市で(その後一部バージニアに戻されたから真四角じゃない。)、連邦政府の機能が集中するこの都市も、「DC」≒連邦政府って感覚があるんじゃないかななんて思った。

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きれいで住民の意識が高く知識欲を満たす町

この町の良いところを挙げてみると、

良いところ① 町がきれい

建物がそんなに古くないってのもあるけど、ニュータウンって感じできれいに整備されている。

どうも古い建物取り壊して順次再開発しているみたい。

どこの町でも中華街はちょっと雑多な感じがあるけど、D.C.の中華街はさらっとしてて面白い。

 

良いところ② 住民の意識が高い。

D.C.の住民は公務員と弁護士が圧倒的に多いらしい。

だからか、ルールに厳しい人が多いと思う。

今回町中の移動に、自転車シェアシステムを使ってみたけど、ちょっと逆走したり、歩道走ったくらいでも、何回か注意された。

ちょっとやんちゃな奴も居るには居るけど、大都市な割に少ない。

 

良いところ③ 博物館が凄い

D.C.に来る観光客がほぼ100%行くのは、いわゆるスミソニアン博物館群。

これを財団で運営して入館料を取らないってのは、本当にすごいと思う。

絵画、彫刻等の一般的な美術館の展示は西洋美術の一流処から、東洋美術やアフリカ、ネイティブアメリカン等がそろっているのは当たり前で、航空宇宙博物館の実物飛行機の展示や飛行機の原理の説明、自然史博物館のゲノムの分析コーナーとか、ありとあらゆる分野を網羅しようという姿勢には感服する。

特に、航空宇宙博物館の第二次大戦の展示は、おそらくアメリカがいかに強かったかを誇示するために、日本側のことも詳細に描写されていて見学し甲斐がある。

(これもエンド・オブ・ホワイトハウスと同じ、敵を持ち上げる構図だと思う。)

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ニューヨークから4時間くらいで行けるし、時間あれば行ってみるのはおすすめできる。

 

そんな、町全体がきれいで統制が取れていて、路地も計算されて作られているような町なんだけど、

逆に言うと、「余白」が少なくて息苦しい。

 

息苦しさ① 店が少ない。

中心部にはデパートMacysH&MForever21なんかがあるけど、正直買い物するには物足りない。

都心に数多くある飲食店はスタバとコーナーベーカリー(パンとサンドウィッチの店)くらい。

町には空き店舗が多くて、何だか寂しくなる。

これって、霞が関に物販店や飲食店が成立しにくいのに何か似ている気がする。

 

宿で会った人に聞いた話では、金持ち政治家が集まってるから100ドル以上出せば旨いものはあるらしい。でもほとんどの飲食店は他の町より高いくせにまずいって言ってた。

実際に、ホワイトハウスのそばにある店有名店に行ったら、朝飯15ドルもして高いけど旨かった。

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夜飲みに行く店もあるにはあるけど少ないし、一体この人たちはどこで息抜きするんだろうって思う。

霞が関には新橋があるように、きっとワシントンD.C.にもそういう町があるんじゃないかと思う。

D.C.内なんだけど、中心部から少し行ったところにあるジョージタウンは、ジョージタウン大学がある大学町。

高級スーパーのディーン&デルーカや、高級百貨店のバーニーズ・ニューヨークとかがまとまっていて歩きでの買い物がしやすい。

でもちょっとハイソな感じなんで、気楽では無いかな。

気楽な買い物なら、近いし地下鉄でも行けて、しかも州毎に違う税金が安い、バージニア州のショッピングセンターとかに行くのかもしれない。

 

息苦しさ②警備が厳しい

また別の角度からD.C.の息苦しさを感じたのは、国家機関の警備の厳しさだった。

例えばホワイトハウスの前(って言っても数百メートル離れてるところ)で車止めて写真撮ろうとしている人が警官に注意されてたり、国防総省ペンタゴン)に行くのに、自家用車やチャリや歩きで近づけないようになってたりする。

だからペンタゴン行った時とかも、写真撮るのも怖い感じがしたり、なんだかそういう威圧感を凄く感じる。

それはテロ対策としてやってるんだろうけど、一般住民も居心地が良いとは言えないんじゃないかな。

 

そんなワシントンDCに居て、ブラジルで聞いた話を思い出した。

リオデジャネイロコパカバーナビーチで300万人が踊って迎える世界最大の年越しイベントに行ってたとき、隣にいた女の子達にどこから来たのか聞いたら、ブラジリアからだって言ってた。

なんで首都のブラジリアからわざわざリオまで来るのかって聞いたら、ブラジリアは何も無くてつまんないってことだった。

もともと行く予定も無かったし、その話を聞いてさらに行かないでいっかと思った。

他にも、地理好き小学生なら誰でも知ってるスリランカのスリジャナワルダナプラコッテも、同じく首都として作られた計画都市。

(名前が長いから地理好きの間で有名なんだけど、現地人でも呼びにくいからコッテって略してた。)

自分がスリランカに行った時には、議会の建物と公園以外何も無いってことで行きもしなかった。

どうも計画都市が面白いって話を聞かないのは、やっぱり都市って自然発生的なもので、誰かが全体構成考えて作ると魅力に欠けるのかもしれない。

多分人間には予想できないことやある意味での汚れが必要なんだろう。

パリだって、大阪だってもともと計画都市なわけだから、時間をかけて澱が溜まっていくのを待っていれば、きっと面白い町になるのかもしれない。

東京の首都(機能)移転は、日本経済に東京の富を分配する余裕が無くなってから現実味が薄れているけど、少なくとも何も無いところに遷都するのは止めた方がいいんじゃないかと思う。

 

南部で列車に乗っている時、D.C.近辺出身のアメリカ人の若者と会った。

彼にD.Cの感想を聞かれたんでこう答えた。

よく考えられた町、だけどちょっと退屈。

彼も確かにそうだよねって笑っていた。

ニューヨーク その3 マンハッタン編

マンハッタンには「強さ」がある。

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ちょっとした緊張感が常に求められている感じ。

 それは東京とか他の大都市が持つ緊張感と根元は一緒なんだと思う。

 たくさんの人が先を争うように急いでるし、色んな人がいるぶん犯罪もあるってことだったりするんだと思う。

 通勤の時、地下鉄や町で出会う人は、東京と同じで、ちょっと疲れた様な無表情をしてる。

 それでわかった。

 いっつも急いでいる感じが違うなあと思って、ちょっと日本を離れてみた自分だから、マンハッタンのそういう部分を見て、がっかりしたんだろう。

 

でもしばらくいる内に、また違う面が見えてきた。

 やっぱりエンターテイメントの種類も質も豊富。

 それが揃っているのが、ニューヨークのマンハッタンってとこだと思う。

 

Manma Mia

 ブロードウェイではその日安く観られる中で一番良さそうだったManma Miaを観た。

 実は10年くらい前にロンドンでも観たけど、内容を知らずに観たのと、何より英語が理解できないので、歌は感動的だったけど、結局父親は誰だったんだ?みたいな感想で終わってしまった。

 (イギリス英語だったからじゃないかって友人はかばってくれた。)

 その後映画も観たし、大筋のストーリーはわかるはずってことで、再挑戦してみることに。

 

簡単なあらすじは、母親に育てられた主人公が、自分の結婚式に父親かもしれない3人の男性を呼んで、誰が本当の父親かはっきりさせようとする。だけど、それを母親に言わずに呼んでしまったことからから始まるドタバタコメディ、家族愛のホロリあり、みたいな話。

 今回はストーリーを知ってるからか、少しは英語が分かるようになったからか、いくらかは内容について行けた。

 それとイギリスで観た時との違いも面白かった。

 例えば主人公の母親のドナが飲むのがアメリカのウイスキー、ジャックダニエルになっていた(覚えてないけど、イギリスではジャックダニエルじゃないと思う)、最後のシーンがイギリス版では坂を登って終わるのが、アメリカ版では大きな月をバックに終わる(期間も空いてるし、今のイギリス版がどうかは分からない。)、一番違いを感じたのはアメリカ版の方が下ネタがえげつない(後ろの席に小学生の子どもたちを連れたイタリア人が居たから、ちょっとひやひやした。)。

 きっと分からなかっただけで、もっと色んな違いがあるんだろう。

 でも、何より感じたのは、一流処が集まるブロードウェイのあの舞台に立つまでの役者達の苦労。

それを想像すると、最後のダンシングクイーンは本当に泣ける。

 

Sleep No More

今度はオフ・ブロードウェイ。

現地に行った時に会った方に猛烈にプッシュされたんでSleep No Moreを観てみた。

舞台は廃墟になったホテル。

その中を観客は自由に歩き回りながら、各所で繰り広げられる役者のダンスのような芝居を観る。

だから人によって経験することが違うというもの。

題材はシェークスピアのマクベスなので、マクベスを読んでから行った方がいい、って人と、何の知識も入れないで行くべきって人がいるみたい。

あと、ヒッチコックの「めまい」とかも入っているそう。

今回マクベスは読まずに行ったけど、それでも面白かった。

まず何が起こっているのか、さっぱりわからないし、わかったと思っても結局本筋の話は分かってないことが分かった。

でもそんなのどうでもよくって、ただただ役者の動きや、内装、小道具、バーと演奏等、世界観の構築の仕方に凄まじいこだわりを感じる。

会場の作り方はリアル脱出ゲームに似てる。

行く度に違うストーリーを見られるから何度でも観られる仕掛けってのも心憎い。

ただ100ドルくらいするんで、しょっちゅう行くもんじゃないとは思う。

あと、個人的には空き家活用のソフトの一つとして、何かしら日本でもできないかってところが気になる。

 

Village Vanguard

音楽の舞台で行ったのは、ニューヨークのジャズクラブの老舗ビレッジバンガード

観光客も多いけど、演者を育てるタイプの常連さんが居る店なんだと思う。

やっぱり一流を目指している人達が集まってるから、演奏のレベルが高い(んだと素人ながら思う。)

印象的だったのは、終盤曲のソロパート。

バンドの中心人物達のソロの後、若手のサックスがソロを演る番になった。

見た目が真面目そうな白人系の演者だったけど、その必死さは会場中の全員に届いていたと思う。

きっと大先輩達に渡された晴れの舞台。

とにかくがむしゃらで、キレっキレの演奏だった。

これも鳥肌もん。

 

そして

それ以外に、エンタテイメントってわけでは無いんだけど、今回興味深いと思ったのは、地下鉄の構内や車内での施し(お金や食べ物)を求める人達。

(先に断っておくと、こういうことを書くこと自体が非難されるところはあると思う。でも事実としてあることだし、個人的な思いとして敢えて書いておきたい。)

もちろん演奏のうまいおじさんとかは感動レベルなんだけど、そこまでの特技が無くても、工夫して施しを受けようとしている人が多い。

例えば、自分の身の上話をラップで話すとか、相手が楽しくなるような冗談を言いながら歩くとか。

やり方はそれぞれだけど、最低限のマナーみたいなものとして、恵んでくれない人に文句を言うんじゃなく、くれた人の幸せを祈るような方法を取ることで、どうしたら自分に渡したいと思ってもらえるかを考えている。

これもマーケティングだと思うし、自由と自己責任が基本の資本主義国らしさだと感じる。

そういう中で自分は正直なかなか渡せない。

その理由を考えると、ケチなところもあると思うんだけど、それだけじゃない気がする。

この抵抗感は何なのか、海外に行くといつも直面する。

日本だと、例えニューヨークと同じような境遇の人が地下鉄構内に居たとしても、施しを求められることなんてまずないし、見えない壁のような断絶があると思う。

公的なあるいは民間の社会保障で施されるべきっていうことで片づけてしまって、普段は考えなくていいことにしているんだと思う。

これは海外の大都市では大抵あることだから、行く度にこの抵抗感を思い出させられる。

特にアジアでは強烈な悲壮感を誘われることが多い。

そういう中で、明るく施しを求めてくれるのは、根本的には何も解決しないかもしれないけど、ありがたいと思うし、何か希望のようなものを感じる。

 

じゃあニューヨークって何?と問われたなら

世界を目指す人が集まる町ってことだと思う。

都市圏人口でも、都市圏GDPでも東京の方が上なんだけど、東京の人は日本か東京だけを見ていて、ニューヨークの人は世界を見ている感じがしてる。

たぶん自分たちが世界一の町にいるんだって自覚しているような感じ。

アメリカの中でも特にニューヨークにそういう人が集まっているんじゃないかと思う。

例えばニューヨークで成功したマグノリアベーカリーが今度東京に店を出すんだそうだ。

あのSex and the Cityで有名なカップケーキ屋。

そんなニューヨークには緊張感のあるマンハッタンがあり、安らぎのあるブルックリンがあり、その他のエリアがあり、そのバランスで成立していると思う。

 

 何かちょっと悔しいけど、やっぱニューヨークは面白い。

ニューヨーク その2 ブルックリン編

ネットが使えなかったんで、しばらくぶりに更新。

正確に言えば、使えるんだけど1時間でUS8ドルもする、

キューバってそんなとこだった。

で、メールチェックしてなかったら、心配されて電話かかってきたし、

途中で出会った人も、捜索願の一歩手前だったらしい。

電話も日本の携帯で国際通話したら、3分半で2300円。

行かれる方は事前に必要な連絡を済ませて行った方がいいと思う。

ということで、今日は今回行ったニューヨークの話。

 

ブルックリンにはスターバックスがほとんどない。

代わりにこだわりのカフェがある。

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ブルックリンって場所は、ニューヨークにある5つの行政区の1つで、ニューヨークとしてイメージするマンハッタン島、そこの東にある。

マンハッタン島はマンハッタン区で、ブルックリンはブルックリン区。

 

ニューヨークって町は、人気エリアの移り変わりが激しいらしい。

おしゃれな人と店が集まってエリアの人気が高まると家賃が高騰して、

そうすると安い家賃を求めて他のエリアへ人と店が移動する。

で、そのパターンの一つがブルックリンみたいだ。

マンハッタンへのアクセスもいいから住宅地として再評価され、同時に店が集積してきてる。

住宅地としての性格からから、周辺住民をターゲットにした店が多くて、派手じゃないけどちょっと華やかさがある、そんな感じ。

一昔前は観光客が行くとこではなかったけど、徐々に人気が高まっているからガイドブックにも載るようになった。

 

そんなブルックリンの特徴は、アメリカならどこでもあるスターバックスがほとんどないこと。

同じチェーン店でもマクドナルドやダンキンドーナツはあるのに、スタバが無いってのがこのエリアの特徴だと思う。

 

アメリカでスタバが流行った理由を考えてみると、それはどこでも一定品質を保障するファストフード文化に、ゆったり時間を過ごしたり、店員とのちょっとした会話を楽しんだりできるような「まったり」を持ちこんだことじゃないかと思う。

でもそこには、場所の特性や来店客同士の人間関係ってような「べったり」はほとんど無い。

 

マンハッタンは土地の高度利用が進んでいるし、人も多く、急いでいて、町の密度が高い。

だからスタバはいっぱいあるけど、長居する客が少ないからか席数の少ない店が多い。

一方で、ブルックリンには低層の建物が多くて、人も少なく、おしゃれなんだけど、地元仲間と楽しむような気楽さがある。

そんな周辺住民が集まるブルックリンでは、「べったり」に対するニーズがあるんだと思う。

 

そういう場所には、地元の人間のやる店が合う。

しかも内装やサービスもラフな感じの店が。

ブルックリンには空き倉庫を活用した店や家が多いんだけど、至る所で家具のペンキ塗りをしている人がいるし、古物商も多くてDIY精神が強い。

観光客にとってのブルックリンの魅力も、「べったり」が育んだ文化に面白みを感じるからだと思う。

 

今自分が興味を持ってるのは空き家の活用と、コミュニティ(社会学的にはソサエティ?)によって、生活を面白くすること。

だから、ブルックリンで起こっていることにとても興味がある。

 

気になった3店

網羅的な情報は、ブルックリン・ネイバーフッドって本と、ブルータスNo.762のニューヨーク特集がかなりまとまってるんでおすすめ。

なので印象に残っている店・イベントを3つ。

 

Tea Lounge >> 地下鉄 >> http://www.tealoungeny.com/

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その近所に住んでる日本の方に教えてもらったカフェ。

ラップトップ持って、仕事だか勉強だかしてる人が多く、ぼっちでも普通に過ごせる。

夜はライブもある。

 

KAVE espresso bar & event space >> 地下鉄Morgan Av. >> http://kavebrooklyn.com/

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ここは低未利用のビルの1階に、犬用品屋、スケボー屋、ヨガ教室とか色んな店が集まってきていて、その中にあるカフェ。

ビルの奥にあるけど、中庭に面していて、適度な落ち着き感。

 

Smorgasburg >> 場所は時期と日によって変動 >> http://www.smorgasburg.com/

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今のブルックリンメシに出会える屋台村。

日本人ベンダーも何組かいらっしゃる。

冬の間はブルックリンフリーってフリーマーケットと同じ建物内で同時開催。

ブルックリンフリーも出店者の手作り品が多くて面白い。

 

ブルックリンだけで長くなったので、次回マンハッタン編に続く。

ニューヨーク その1

今日はサンアントニオ

寒波が強まっていて、今日はかなり寒い。

南部のテキサス州なのに、氷点下行くか行かないかくらい。

ちょっと風邪気味なんで、もう少しこの町で体調の様子を見ようと思う。

 

ニューヨークとの出会い

今日から、今回の旅で行った町についての話をしたいと思う。

まずは一番長く滞在したニューヨークのことから。

だけど、まずは自分が初めてニューヨークに行った時の話。

それは、アメリカに初めて行った20歳の夏だった。

予備校で教わっていた地理の先生と自分を含めた教え子二人、アメリカ西海岸をドライブしながら、「それがメサで、あれがビュートだよ」なんて、地理受験で教わった現場を先生の案内で行く面白い旅だった。

そんな二人とはロサンゼルスで解散し、その後はロサンゼルスとニューヨークを一人で旅した。

それは人生二回目の海外一人旅。

ニューヨークまでは飛行機で一気に移動し、当てもないのでとりあえずマンハッタンのグランドセントラル駅まで行く。

その日は夏休みの終わりを告げる祝日、レイバーデイ(勤労感謝の日)前日だった。

もう夜だったけどまだ宿を確保していなかった自分は、「歩き方」にあるいくつものホテルに電話をかけてみたがどこも満室、さらに祝日で旅行代理店も空いてない。

途方に暮れて泣きそうになりながら思いついたのが、夜行列車に乗って他の町まで行くことだった。

ちょうどボストン行きを見つけ、電車の切符を買い、ようやく安心したところで、近くのタイムズスクエアまで歩いて行くことにした。

そこで初めて見たタイムズスクエアの明るい広告群(当時はまだカップヌードルサントリーの広告もあった)。

LEDディスプレイ化された今と比べたら、明らかに暗かったんだろうけど、とてつもなく明るく感じた。

そしてそこは、祝前日、夏休みで世界中から集まっている観光客と、それに合わせてきている観光客向けのパフォーマー達でごった返していた。

民族装束を売るアフリカ系の人、アジア系の似顔絵画家、自由の女神やキャラクターに扮した路上パフォーマー。

そこには世界が集まっている感じがあった。

そんなキラキラ、ギラギラした街の一角に当時あったのは、CDショップのヴァージンメガストア

そのどでかい店内に鳴り響くBGMに痺れた。       

メロディーは無く、ただリズムだけが刻まれていて、そこにニューヨークの鼓動を感じた。

(その後、タイムズスクエアからグランドセントラルに戻ったところで、実は電話で席の予約が必要ということを知った。でも電話内容を聞き取れず、待合室で見かけた日本人留学生に手伝ってもらいなんとか乗れたなんてこともあった。)

 

その後、ニューヨークにはもう一度行っていて、今回は3度目の滞在。

正直今回、最初に感じたのは、思ってたより感動が無いってことだった。

これまでニューヨークに感じたのは、とにかく世界中で一番の都市としての凄みだった。

でも今回、3日目くらいまで、単純に言えば「でっかい東京」というような印象を受けていた。

10数年の歳月の経過で感性が鈍ったのか、それとも前職の不動産開発の仕事を通じて街がどれも同じに見えてきちゃったのか、何れにしろちょっと悲しかった。

 

でも、その思いは滞在期間を重ねる中で変化する。

これまで2回の滞在は、空港の往復か、ニュージャージーのアウトレットに行くくらいで、マンハッタン島を出ることが無かった。

それが今回は合計6軒の宿を泊まり歩き、18泊ニューヨークに居たけど、マンハッタンに泊まったのは2泊だけ、クイーンズも2泊のみ。

後はブルックリン14泊。

そんな中でブルックリンの居心地良さに馴染み、さらにはニューヨークやっぱすげーって思うようになった。

 

じゃあ今回はどうだったのかについては、長くなるのでまた次回。

 

ブログ名

やっとこヒューストン

今これを書いているのは、ヒューストンまでの電車の中。

一昨日の冬の嵐が嘘みたいにどっかに行き、南部の光が車窓から溢れちゃってる。

乗れなかったバスの振替え乗車のためバスターミナルへ行ったら、昨日もいつ乗れるかわからないことがわかった。

なので、バスのチケットは捨てて、電車に乗った。

バスカウンターで、別のバスに振り替えるか、払い戻すかって選択肢を出された時、どっちにしろ行くわけだし、払い戻すなんてないだろと思ってた。

結局、バスにも乗れず、払い戻しもされない。

25ドル捨てたけど、電車の方が快適なんでいいやって無理に思いこんでみてる。

 

ブログ名ってどうしようかなぁって、旅の途中もぼんやりと考えてた。

名前によって与えられる印象が変わることもあるし、広告が好きだった人間としては、少しだけこだわりたいなぁと思って。

で、話をいきなりそらすんだけど、アメリカに居るアジア系の人は、イングリッシュネームを持つ人が多い。

旅の途中であった人にも、無いの?って聞かれたりした。

自己紹介のときはすぐに覚えてもらえる方が便利だし、カフェで注文するときにも名前を聞かれるから、スペルを説明しないで済むのが良いのはわかる。

だけど、名前を二つ持つのがどうもしっくりこない。

正直、ダニエルとかって呼ばれるのは、ちょっと気恥ずかしい。

今回会った数人の日本人の話を聞いてみて思ったのは、どうも日本の環境で育った人は、通り名を使うことに抵抗を感じるみたい。

日本語の名前にはバリエーションが多くて、名前の個人帰属性が高いってこともあるだろうし、もしかしたら英語文化圏に対しての自意識・劣等感みたいなものから来るのかもしれない。

(たまたま自分は、名字が世界中で知られた名前なんで、最初はファーストネームではなくそれで呼んでもらうことにしている。)

だから、言ってしまえばただのブログ名なんだけど、デザインは変えても、名前は変えずに使いたいと思う。

結果、このブログに「ウズブロ」を名付けた。

「ウズ」とは、「渦」、そして「ブロ」は、ブログのことだ。

 

「渦」

そもそも会社を辞めたのは、やってみたいことがあること、やってみたいことと仕事内容のずれを再認識したこと、そのずれを解消するには時間と手間が相当に必要なこと、そしてその間ずっと今の仕事を続けることは自分の健康管理上良くないと思ったからだ。

そこで、実際会社を辞めるにあたって、これからの人生をどう生きるか、指針みたいなものを考えた。

まずイメージしたのは、流れの中で流されながらも泳いでいる魚のイメージだなって思った。

自分では会社を辞めると決めてからも、不安や迷いで、決めきれない自分が居た。

でも自分の中にあったのは、自分はもう辞める流れに乗っているって感覚だった。

だから迷っていても、それは踏ん切りがつかないだけで、不安をとっぱらったら辞める方向に流されることをある時期から確信していた。

もちろん、川を遡上する鮭みたいに、流れに逆らって会社員を続ける選択もできたとは思う。

でも自分にとっての素直な選択は、辞めることだった。

それは流されるままに辞めるんじゃなく、むしろ流れを振り切って辞めることだった。

きっとこれからも、色んな抗えない流れはあると思う。

時には、流れを逆流したり、流れ自体を変えなきゃならないときもあるかもしれない。

でも普段は、完全に流れに身を任せるんじゃなく、その中でも意思を持って泳ぐこと(もしくは同じ場所に留まることも含めて)、それが今の自分の理想なんだと思う。

 

流れの中で意思を持って動くと、そこには渦ができる。

例えば競泳用の水着は、渦のコントロールを意識しているものがある。

水泳部だった当時、男性用競泳水着のトレンドが大きく変わっていった。

いわゆるブーメラン型から、ハーフパンツ型に移り変わっていった時期だった。

ブーメランの設計思想は、水着は抵抗になるから、なるべく面積を小さくするというもの。

あの頃の水着は相当見せたがりだったし、その発想の延長で、すね毛とか無くすことも流行っていた。

自分の場合、残念ながら泳ぎが速くないから、体毛無くしたら逆に恥ずかしいっていう感じだったけど。

それに対して、ハーフパンツ型は、泳ぎでできる渦が推進力を邪魔しないようにコントロールするという設計思想で作られてた(全部か分からないけど)。

(その後でまた無抵抗型のレーザーレーサーが登場するけど、今に至る競泳水着業界は知らない。)

 

話を戻すと、自分がこれから目指すことは、大きな流れの中でちょっとした渦を作って、その流れにちょっと変化を与えることだと思っている。

そしてこのブログがその渦の一つになれば、そういう思いで続けてみたい。

 

PS : ちなみに次回から滞在した町の話を、ニューヨークから始めるつもり。

写真の投稿は、編集方法を調べてから追ってやります。

ウズブロはじめました

今、ニューオーリンズの宿で、これを書いてる。

旅の間って、時間あるんだけど、意識して作らないとまとまった作業ができない。

でも今日はまとまった時間ができてしまった。

ひどい寒波のせいで雪が降り、ヒューストンまでのバスが朝からずっとキャンセル。

飛行機も欠航が相次いでいる。

今回の旅の中では、まさに一番困った状況。

仕方ないので、ニューオリンズにもう1泊することにして、この文章を書いている。

 

ブログを始めたわけ

旅好きの自分ではあるけど、学生時代の感想文以来、旅の日記を書いた記憶がない。

旅の間にしかできないことではないし、本当に強く感じたことは文章で残さなくても忘れないとも思っていた。

とは言え、一番の理由は面倒だからなんだと思う。

 

そんな自分が今回旅の最中にブログを書くことにしたのは、

行動を公開する約束をして旅立ったということがまず1つ。

そしてもう1つは、今回の旅がこれまでのものと以下の点で大きく違うということがある。

違いその1、期間

これまで最長の旅は1か月半程度、それが今回は2か月半。

ちなみに期間は12月後半から3月前半。

これまでに、

シアトル Seattle

マイアミ Miami~キーウエスト Key West

フォートロダンデール Fort Lauderdale

オーランド Orlando

ニューヨーク New York

ワシントンD.C. Washington, D.C.

シカゴ Chicago

デトロイト Detroit

ニューオリンズ New Orleans

と、回ってきた。

これからはテキサス州とメキシコ、もう一度シアトルと、ハワイに行く予定。

 

今は旅のオフシーズンなこともあり、実はこの時期、海外に居る日本人には世界一周中の人が多い。

そんな中で2カ月半は大して長くないとも感じる。

でも、2カ月以上の期間があると、先の予定を途中で決めていく選択肢の広さがあり、スリリングでワクワクする。

そんな旅の道中についての近況報告と、大切なことでもやっぱり忘れるんで、備忘録として続けてみたいと思う。

違いその2 単なる観光旅行ではないこと

今回の旅は、昨年後半、約10年続けた会社員を辞め、新たな生活を始める準備の一環だと思っている。

詳しくはまた別の機会に触れるとして、これから先、まずは簡易な宿の運営を考えている。

そのために今回の旅は、アメリカを中心とした各地の宿の研究と、マーケティング、さらに率直に言えば営業活動というのも目的の一部と思っている。

とは言え、訪れた土地の文化に触れることは旅の醍醐味なんで、そこまでビジネスライクには捉えていないんだけど。

というわけで、これからやろうとしていることについても、ちょくちょく触れて行きたいと思っている。

そして、その1、その2のどちらにも関わるんだけど、これまでの日本の生活で凝り固まった頭に揺さぶりをかけてみるのは、今回の旅の大きなテーマだと思っている。

そのために今回は、現地の暮らし方、働き方に触れることを意識したいと考え、1つ1つの町に長めに滞在するような予定を組んでいる。

 

あんまり説明になってないけど、今回の旅で感じたこと、そしてこれからのことを柱にしながら、とりあえずブログ始めてみることにする。