ヒューストン
テキサスのイメージ
テキサスと言って真っ先に思い浮かぶのは、自分が多感な時期のアメリカ大統領だった、ジョージ・ブッシュ氏(息子)だ。
そんな氏のイメージは、石油利権とイラク戦争って感じで、はっきり言って印象が良くない。
というところから、ガソリンを際限なく使ってエコ意識とかなく、そんな賢くなさそうな感じってのが、自分の中にできあがっていたテキサス州のイメージだった。
そういう勝手なイメージを持って、テキサス州最大の町、ヒューストンに着いた。
シェールガス関係の好景気もあって、石油関連産業のオフィスが集積する中心オフィス街は高層ビルの建設が続いている。
そして一歩中心地を離れると、町はひたすら大きく広がってる。
だから車があった方がもちろん便利なんだけど、歩ける範囲に飲み屋街がまとまってたりして、けっこう歩いてハシゴする人がいた。
むしろ日本の地方都市よりも歩いている人は多いかもしれない。
それでもやっぱり特徴的だと思うのは、車で移動することが前提の町だってこと。
道幅、駐車場がしっかりしているのはもちろん、車であれば移動距離より時間距離を優先できるので、一つ一つの施設の敷地が大きく、隣の建物との間隔も広い。
そして、いろんな専門店が平屋で展開されていて、容積率を使ってない町だってことも特徴的だと思う。
例えば、マジック・ザ・ギャザリングのようなトレーディングカードゲームの遊び場みたいな店が、ファミレス規模で通り沿いにあったりする。
これがニューヨークだと、ただで居座れるスーパーマーケットのフードコートなんかで遊んでるわけで、土地が広いと違うなぁと思う。
またもう一つの特徴は、車移動だからってだけじゃなく、むしろテキサスの人のオープンな気質からだろうって感じる、店内の丸見えっぷり。
レストランなんかがそうなのはわかるとしても、さっきのカードゲーム屋も誰が遊んでるかがわかるし、下着屋なんかでも外から全部見えてる。
こういう文化は、なんかちょっと微笑ましいし、うらやましくもある。
そんな訳で、ちょっとテキサスのイメージが良くなってきた。
さらに郊外エリアを見ていると、この町のある種の可能性を感じた。
それはこの町が狭い範囲に計画的に作られたわけじゃなく、個々人の思いでどんどん拡大して行ってるってところだ。
フリーウェイ沿いには点々とオフィス街ができ、その周辺にホテルや商業施設が立ち並ぶ。
それは誰かが全体計画を立てているわけじゃなく、開発会社が勝手に町を広げているんだと思う。
翻っていまの日本では、「閉塞感」がキーワードになってる。
それは狭いエリア、狭い市場に、あまりにも多くの人と会社がひしめき合っているからなんじゃないかと思う。
だからヒューストンを見ていると、狭いところにずっと固執して窮屈に感じるなら、もっと広い別のフロンティアに行けばいいんじゃないかって言われてる気がする。
都市で言えば、狭いエリアの都市計画なんて作り込まずに、緩いしばりで自由に拡大すること、いわゆるスプロールしていく方が、持続的な発展はできるんじゃないか。
そんな気がしてくる。
持続的な発展って、どっかで限界あるとは思うんだけど、でもそういう展望があれば「閉塞感」に打ち勝てると思う。
そういうフロンティア精神みたいなものを、この地域の人からは感じる。
ただ一方で、スプロールしてできた町は、便利だけど薄っぺらい町になりがちだ。
だからこそ人が集まる場所は必要で、ヒューストンの町中にも飲み屋や遊び場が集まるエリアができる。
それは、たとえネットで連絡が取れても、実際に会って感じられる情報量は比べ物にならないほど多いからだと思う。
だから、リアル店舗や、飲み屋や、ニコニコ超会議、コミックマーケットはこれからも必要だろう。
じゃあこういうゾーンは自然発生的に市場に任せることでできるから、都市計画は不要か?
やっぱりそこには、交通手段や電気、水道等のインフラが必要になるから、都市計画は必要なんだと思う。
自分が生まれ育ったのは、郊外で周りに畑や林も残るところだった。
それもあってか、密度の高い町にも魅力を感じつつも、どっかでしっくり来ない感じがある。
そういう中で、ヒューストンの低容積っぷりはけっこう心地良い。
そんな自由な開発の可能性と、都市計画のバランス、それがヒューストンで考えたことだった。
もともと良いイメージじゃなかったテキサス州だったけど、良い意味で裏切られた。
そして次の町はサン・アントニオ。
アメリカ人が大好きな、テキサスらしさの中心地へ向かうことになった。